『ゲンロン戦記 「知の観客」をつくる (中公新書ラクレ)』
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「数」の論理と資本主義が支配するこの残酷な世界で、人間が自由であることは可能なのか? 「観光」「誤配」という言葉で武装し、大資本の罠、ネット万能主義、敵/味方の分断にあらがう、東浩紀の渾身の思想。難解な哲学を明快に論じ、ネット社会の未来を夢見た時代の寵児は、2010年、新たな知的空間の構築を目指して「ゲンロン」を立ち上げ、戦端を開く。ゲンロンカフェ開業、思想誌『ゲンロン』刊行、動画配信プラットフォーム開設……いっけん華々しい戦績の裏にあったのは、仲間の離反、資金のショート、組織の腐敗、計画の頓挫など、予期せぬ失敗の連続だった。悪戦苦闘をへて紡がれる哲学とは? ゲンロン10年をつづるスリル満点の物語。
政治家もホントはそういうものだと思います。ビジョンって最初はわかってもらえないわけですよ。けれどもこいつはもしかしたらすごいじゃないか、という感じで金を集めて活動して、20年ぐらいたってから、「そういうことだったか!」となる。その時間稼ぎが人間力だと思うんですよね。
いまの世の中はそういう時間稼ぎをすごく軽視してて、「いま私はこういう政策を実現します」みたいになっている。
目次
はじめに
第1章 はじまり
第2章 挫折
第3章 ひとが集まる場
第4章 友でもなく敵でもなく
第5章 再出発
第6章 新しい啓蒙へ
あとがき
2010年 合同会社コンテクチュアズ
オフィスなしのオンラインだけの業務
SNS・ブログの時代
著者
2001年『動物化するポストモダン』
2007年『ゲーム的リアリズムの誕生』
「オルタナティブな場を作りたい」という著者の願い
2009年『クォンタム・ファミリーズ』
2010年『思想地図β』創刊 3万部を超えるヒット
2011年『一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル』
事務仕事の軽視
ゲンロンは「コンテンツをつくる人間だけが集まるべきだ。経理や総務のような面倒な部分はすべて外注で賄うべきだ」
会社の本体はむしろ事務にあります。研究成果でも作品でもなんでもいいですが、「商品」は事務がしっかりしていないと生み出せません。研究者やクリエーターだけが重要で事務はしょせん補助だというような発想は、結果的に手痛いしっぺ返しを食らうことになります。
本書ではいろいろなことを話しますが、もっとも重要なのは、「なにか新しいことを実現するためには、いっけん本質的でないことこそ本質的で、本質的なことばかりを追求するとむしろ新しいことは実現できなくなる」というこの逆説的なメッセージかもしれません。
同じ失敗を繰り返す
面倒なことを避けてしまう
信じるほうが楽
30代のぼくは、自分がなにをやりたいのかわかっていませんでした。
リアルなものの存在感
アナログの存在感
(前略)ファイルはたしかにデジタルでクラウドにおいてもいい。けれども、それだけでは社員は仕事の存在を忘れてしまうのです。契約書や経理書類を紙に印刷し、目に見えるものとして棚に並べるのは、仕事があることを思い出させ続けるためだと思います。
ぼくが当時、領収書を打ち込みフォルダをつくりながら考えていたのは、そのような「経営の身体」はデジタルの情報だけでは立ち上がりにくいということでした。紙の書類を印刷しフォルダにして書棚に入れると、情報がオフィスのなかで特定の場所を占めるので、全体が身体的に把握しやすい。
誤配
観光客(観客)